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沈黙とともにある言葉

 

 

昨日の夜は、寝待月の円坐でした。

 

九州から東京に出張で来られた方が時間をつくって参加してくれました。前半の50分の沈黙を、いろいろな発見があってとても面白かったとおっしゃられていた。一人で静かにしているのと、誰かと一緒に静かにしているのと、意識が全然違うというお話、どなたかもほとんど存じ上げない方々と、何の不安もなく、安心して黙っていられるという体験は、とても興味深く、面白かったとのこと。

 

後半は、非構成の場、円坐の場というもの、そこで在り方のようなところにふれていくような会話がありました。

 

頭が動いてどっか違うところから話したりせず、今という空間にお互いに居続けていたという、思い出すとそんな感覚があります。常に自分たちのすぐそばに沈黙があった。もしくは沈黙の中、静寂の中で、お互いの声を聞き、自分の心も同時に声にしていくような、そんな時間。

 

最近よく考えること、沈黙とともにある声、言葉、というものがあるなと思います。沈黙とともに語られる声や言葉は、まっすぐ僕たちの深いところに入っていく。

これは、沈黙していて、そのあと語りだすという順番のことは言ってなくて、沈黙しながら語り、語りながら沈黙するという同時相即な状態があるのかなと、探究しているところです。

 

昨日はそんなことを実感するような、そんな時間でした。

 

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<このさきの円坐>

●10月28日(日)13時半~17時半「円坐東屋@森の食卓」吉祥寺

https://www.facebook.com/events/2059978164066857/

●11月14日(水)19時~21時「地蔵の会の円坐」亀有

https://www.facebook.com/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E3%81%AE%E4%BC…/

●11月30日(金)19時~22時「寝待月の円坐(11月)」用賀

https://www.facebook.com/events/1242643452566654/