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時間をかけて言葉を待つ~寝待月の円坐~

 

円坐をひらいて、集まった方たちと過ごすことが、また最近一段と楽しく、次の円坐も楽しみに待っている今日この頃です。

 

 

円坐という言葉をはじめて聞いた方のためにちょっとご紹介。

 

円坐とは、目的もテーマもなく、集まった方たちと丸くなって坐り、終わりの時間まで一緒に過ごす、何を話してもいいし、話さなくてもいい。質問するもよし、静かに過ごすもよし。それぞれが自由に過ごす時間と空間のこと。

 

明確な目的があり、様々なワークやプログラムがあるワークショップを「構成的な場」と呼び、それと比較して、円坐のような場を「非構成的な場」と呼んだりします。

 

非構成的な場には、あらかじめ決められたテーマやプログラムが無いので、すべてそのときに起こることのみがコンテンツのすべてになります。どんな話になるのかも、そのとき次第。もしくは長い長い沈黙が続くことも。すべては自分次第。そして集まった人たち次第。

 

 

この何が起こるか分からない「分からなさ」がとても面白い。始まってみるまで何が起こるか分からない。とても緊張するけど、この緊張感が、なんというか、ドキドキする楽しさになっているんですが、これは何なのでしょう?

 

 

大学生の頃、僕は軽音楽同好会に所属してバンドをしていましたが、その時のライブの本番に向かうときの緊張感とドキドキに似てるような気がします。他にも、趣味でやっているフットサルの試合に向かうときのドキドキとも似ているかもしれない。

 

円坐に対するドキドキは、何かに向かっていく、チャレンジするドキドキと似てるのかもしれません。

 

 

確かに円坐をひらくことは、ひとつの挑戦ではあると思う。集まってくれた方たちと、どんな関わりを持つことができるだろうか。自分を誤魔化さずに、目の前の人に関わることができるだろうか。来てくれた方が、来てよかったと思える場(時間)をつくることができるだろうか。

 

 

でもそれは、他の構成的な場をひらく場合も同じように思っている。いつでも場をひらくことはチャレンジに違いない。

 

 

もし違いがあるとしたら、構成的な場は、構成しているものに自分がある程度守られるという安心がある。テーマやワークがすでに決まっている場では、何を話したらいいか、今何をしたらいいかと参加者が迷うことはない。ある目的に向かって構成したプログラムに沿って場は進んでいく。何が起こるかもある程度想定できるし、想定外のことが起こらないような工夫も事前にできる。目的に向けて順調に進むことが担保され、同時に参加してくれる方の満足度もある程度担保される。僕が責任を負うところは、事前のプログラムの質と、当日のスムーズな進行。そして、時々生じると思われる参加された方とのやりとりをしっかり応じること。

 

 

しかし、円坐になると、はじまりから終わりまで、すべての時間に対して応じていかなければならない。ある意味、全体を通じて自分をさらけ出すことが求められる。

 

 

自分で書いてて、なんて恐ろしい場をひらいているんだろうと思うけど、逆に言えば、このさらけ出すことに円坐ではチャレンジしているのだろうと思う。

 

 

2015年から円坐をひらきはじめて、今年で4年目。

 

これまで、円坐が楽しくなるときもあれば、怖くなることもあったり、どこか力んで向かうときもあったり、ときどきで自分の中に波があるなぁと振り返って思う。

 

 

おそらく、円坐を楽しいと思えるときは、自分をさらけ出すことについて、つまり自分自身について、どこか吹っ切れていたり、開き直ってたり、自信があったり、そんな心境なんだと思う。

 

 

今、僕がどんな心境かというと、今書いたような心境に近いとも思うけど、それとも少し違うような気もする。

 

 

全然吹っ切れないし、全然開き直れないし、全然自信も持てない。

 

 

という自分をそのままに、そのまま出す、いや、出すというよりは、自分がどうこうしようが出ちゃうことを「諦めた」と言った方が近いかもしれない。

 

 

 

諦めた。もうどうのこうのしない。いや、どうのこうのしてしまう自分ももうしょうがない。出ちゃう自分が自分だと、いうところにいるような気がします。

 

 

そして自分も出ちゃってるし、同じように、他の人も、みんな出ちゃってる。

 

 

出ちゃってるところで、みんなでわいわい関わりあえると思うと、なんだかそれってすごい面白いなぁと思えて、毎回の円坐がなんだかとても楽しみなのです。

 

 

長-く書いたわりには、最後まで分かりにくい話しになっちゃいましたが、なんだか円坐に興味がわきました!という方がいましたら、ぜひ足をお運びください。お待ちしております。

 

 

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今回、ご案内する円坐は、友人のげんちゃんこと玄道優子(http://yukogendo.com/)さんと2016年から毎月一回、世田谷で開催している「寝待月の円坐」です。「寝て待つぐらい出てくるのが遅い月」の日の月を寝待月というそうです。沈黙の中、自分や目の前の方から現われてくる言葉をじっくり待つ円坐の在り方と重なるところがあると思って、この名前でひらいています。

 

【 開催概要はこちら 】

日時:

 10月24日(水)19時~21時45分   https://bit.ly/2NVyDct

 11月30日(金)19時~21時45分   https://bit.ly/2y4J5TU

 12月17日(月)19時~21時45分   https://bit.ly/2xMtg5a

 

場所 :  参加者に直接お伝えします。( 田園都市線の桜新町、駒沢大学辺りで開催しています。)

 

定員:10名ほど

 

参加費:2,500円

 

申込・問い合わせ先:

E-mail ordinaryworld0420■gmail.com

(■を@に変換してご利用ください)

 

守人:中尾聡志 & 玄道優子

 

<円坐とは>

目的やテーマなどは決めずに、集まった方たちと円くなって坐り、一緒に時間を過ごします。話したくなったことがあれば言葉にし、特に何もなければ静かに黙っている。

守人は、始まりと終わりの時間を宣言し、その中で語られる言葉を懸命に辿り、また坐衆の一人として一緒に言葉を紡ぎます。