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節目、大きな自分と小さな自分、時間を先取る

きくみるはなす縁坐舞台 人空時 東京公演
きくみるはなす縁坐舞台 人空時 東京公演

 

こないだ人生で初めて自分の年齢を素で間違えた。38だと言って他の人に「あれ?38だっけ?」と言われるまで気づかなかった。ちょっとショックだった。今まで自分の年齢を「あ~いくつだっけなぁ」とか迷う人を見て、自分の年齢迷う感覚って全然分かんないなぁと思うぐらい、自分の年齢はスパッと言えていたから、かなぁ。

 

あと1年もしないうちに40歳。そうかぁ、自分は40歳になるのかぁ。不思議な感じ。あまり現実味がない感じ。なんで29から30とか39から40とか、そういうときだけ妙に意識するんだろう。節目みたいなものを感じやすいからかな。

 

最近、友達のしおじとおしゃべりしてた中で、「節目」の話が出て来た。しおじは暦の話に詳しくて、暦についてお話する会とかをときどきやってる。「季節」って「季の節(ふし)」って書くし、「節分」も季節を分けるという意味があって、今は2月に1回だけだけど、昔は季節の移り変わりには「節分」があったらしい。5月は端午の「節句」とかいうけど、これも「旬の節(ふし)」。昔の人は季節の節目をみんなで大事にしてたんだってことが分かる。

 

最近の自分にとっては、8月の縁坐舞台東京公演が一つの節目のように感じている。8月13日を境に、その前の自分とその後の自分(今の自分)はちょっと違う感じがある。自分の仕事についても、松戸のNPOのことも、家のこととか、その他にもいろんなことが、たまたま偶然かもしれないけど、これまでと違う流れに入った感じがしている。不思議だな。

 

自分が何かやってきたから何かが変わってきたという感じはほとんど無くて、全部向こうからやってきた感じがしていて、これからも自分が自分としてこうしたいああしたいという感じよりは、もうこれをしていく流れである、この道以外は無いよなぁ、という感覚が強い。自分の「したい」という気持ちもその流れの中に一緒にある感じがする。自分の状況をこんな風に表現できるのは8月の公演のときにアリーの話を聞かせてもらってその時に感じたことが強く影響してる。大きな自分と小さな自分。小さな自分に戻ったときに不安とかが出て来る。大きな自分を感じて動いていけたらいいなぁって思う。でもそれは小さな自分が小さな自分のまま自分の足でなんとか歩いていく姿あってのものかもしれない。

 

明日から9月、今年もあと4カ月、夏も終わって季節がめぐっていく。もっとあとの自分が今を思い出すときどんな風に思うんだろうか。今と同じように「あの頃が節目だったなぁ」と思うんだろうか。それとも今感じているこの「節目」感がそもそも未来の自分が感じている感覚の先取りなのかな。

 

合気道には「先の先」という言葉があるそうです。今の自分が未来を先取りすることで今を過去にすることだそうです(確か)。最近マラソンするときにこの考え方を意識して、気持ちよく走れてる自分をイメージで先取りすると、身体がそこを追いかけていい状態を勝手につくろうとする。イメージトレーニングってこういう原理なのかとか思いながらやってます。

 

時間感覚が変わっていく。ただ流れる直線状の時間や、時計が指し示すみんな共通の時間じゃなくて、僕にしかない時間、僕が自由に移動できる時間、今まで誰も教えてくれなかった時間というものに最近興味があります。

 

あと少しで40歳だと言ってる僕は実はもう40歳の感覚を先取りしてるのかもしれない。38だと年を間違えた僕は間違えたのではなくて、38の自分だったのかもしれない。今の僕は39歳でもあるけど、38歳でもあるし、40歳でもあるのかもしれない。いや数字は関係なくて、今でもあるけど過去でもあって未来でもある。8月13日を節目だといいながらその前の自分と40歳の自分を思う僕は、過去も今も未来も包含した時間を生きているのか。